東京の下町の夏からなくなってしまったもの

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もう10月ですね。今年の夏は、あっという間に過ぎ去ってしまった感があります。

東京の下町の夏からなくなってしまったものといえば、縁台に座って夕涼みをするジイサンです。宵闇の中、下半身はステテコ、そして、ときに上半身裸の姿で、団扇をあおぎながら、縁台でくつろぐジイサン連中です。いまでは全く見かけません。

僕が子供のころ、そんな「縁台ジイサン」の前を通ると、よく怒られたものです。特に何も悪いことをしたわけではないのに、そばに近寄っただけで、何やら「ワー、ワー」とわめくのです。

それから、近所に「チュージイサン」というのもいました。僕ら子供たちが遊んでいると、満面の笑みを湛えながら、「チューするぞぉ、チューするぞぉ」といって近寄ってくるのです。実際にチューをするわけではないのですが、「あの無精ヒゲでチューされたら気持ち悪い!」と感じ、僕たちはギャーギャーと逃げまわっていました。いまなら「変質者」ということで、一発で警察に通報されてしまうでしょうが、僕らの親は、そんなことお構いなしでした。

いま考えると、わけもなく怒る「縁台ジイサン」にしろ、「チュージイサン」にしろ、そうやって子供たちとコミュニケーションを取ってくれていたのだと思います。だから、親たちは、安心して子供たちを外で遊ばせることができたのでしょう。

「チュージイサン」は極端な例ですが、外でワイワイガヤガヤ遊ぶ、近所のジイサン、バアサンに「うるせー!」と怒鳴られて退散するものの、数日後、また同じ場所でワイワイガヤガヤとやる、再び怒鳴られる、の繰り返しでした。町全体が安心して遊べる遊び場であったなあと思い返します。

昼はもちろん、夜も安心でした。僕は、小学校3年生からソロバン塾に通っていたのですが、冬の夜、一人で帰る下町の細い路地には、若干の恐さを感じたものです。でも、何かあったら、おでん屋のおばちゃんのところに駆け込めばいいとか、知り合いのジイサンの家に飛び込めばいいとか、子供なりの「防衛対策」が自分の頭の中に入っていたのではないかと思います。

地方の経済停滞が叫ばれていますが、東京にあっては、人情の劣化が甚だしいのが残念です。昔の東京のジイサン、バアサンは、それぞれの個性がギラギラ輝いていて、自分たちが町の一翼を形成しているのだとう気概にあふれていました。昨今のお年寄りは、どこか画一的になってしまっていますね。

いまの僕の長期ビジョンは、下町の偏屈で小うるさいジイサンになることであり、それに向けて着々と準備中であります。