君子もって虚にして人を受く(「易経」より)

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君子もって虚にして人を受く(「易経」より)

(意味)君子は心を空っぽにして、人の心を受け入れる。

人間の記憶というのは、いい加減なものだ。他人の良かったことは、すぐに忘れ去るが、他人の悪かったことは、いつまでも覚えている。

職場でいえば、誰かが目を見張るような実績をあげれば、それは記憶として定着するのかもしれない。野球に例えると、9回裏に逆転満塁サヨナラホームランを打てば、半ば永遠に記憶として残る。

ただ、仕事において、サヨナラホームランのような華々しい功績を残すことは、ごくごく稀だ。ほとんどの人が、ポテンヒットの繰り返しの毎日なのではないか。ところが、ポテンヒットを地道に積み重ねてきた人が、ある日、大きな過ちや失敗を犯すと、これもまた半ば永遠に記憶に残ってしまう。

ひっそりと記憶に残っているくらいなら、まだ良い。その一度の失敗が、その人の能力否定につながり、挙句の果ては、その人の人格否定にまで堕す。「○○さんて、○○だよね」という、安直な他者批判だ。

その他者批判が、地中深く根を下ろす場がある。飲み会だ。「ちょっと、一杯ひっかけていこうや」の飲み会だ。そんな場で、明るく建設的な会話がなされるはずがない。「○○さんて、○○だよね」が盛んに繰り返される。そして、知らぬ間に酒の肴にされた当の本人のレッテルは、万力をもってしても剥がしようがなくなる。

日本の殆どの組織が、このような状態にあるのではないだろうか。社員が百人いる会社であれば、ほぼ百人分の悪しきレッテルがあり、そのレッテルは、日を追うごとに増幅し、粘着する。これこそ、組織の伸び悩みや衰退の遠因であると言っても、過言ではないであろう。

当然ながら、この世に聖人君主などいない。人は誰でも、悪しき部分と良き部分を持っている。貴方が、社内の誰かと相対するとき、先ずは、その人に付けられたレッテルを、いっさい頭の中から除去し、自分の心を空っぽにして、語らい合ってみてはいかがだろう。かすかであっても、その人の良き部分が浮かび上がってくれば、それが汚濁した組織を浄化する端緒になると思う。僅かな一歩であるかもしれないが、その僅かな一歩を、本日から踏み出すことをお勧めしたい。