仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し(「臨済録」より)

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(前後を含めた訳文)お前たちよ、正しい見解を得ようと思うならば、何はともあれものについてまわってはいけない。内に向っても外に向っても、逢ったものは皆殺せ。仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺し、羅漢に逢ったら羅漢を殺し、父母に逢ったら父母を殺し、親類縁者に逢ったら親類縁者を殺して、始めて解脱することができよう。そういければ、なにものにも束縛されず、全く自由自在である。

将来がどうなるかという不安、失敗するのではないかという怖れ、過ぎ去った物事への悔やみ、周囲への怒り、他人の成功に対する妬み。人生とは、そうした悪感情との闘いの連続といえる。そうした悪感情が自分を支配していては、良き発想が生まれるはずはなく、前向きに人生を歩むことは不可能だ。

そういった悪感情を断つべく、参禅するのも良いだろう。私は参禅の経験がなく、是非とも一度、然るべき高僧のご指導を仰ぎたいと思っている。

しかしながら、禅寺だけが道場ではない。私たちは、ビジネスの場で、人生の大半を過ごす。しからば、そのビジネスの場を、己の道場として捉えられないだろうか。仕事をしていれば、冒頭の様々な悪感情が、否応なしにふつふつと湧いてくる。その悪感情を、ビジネスという名の道場で断ち切ることも、参禅と同等の意義があろう。

古来より、あまたの禅僧が苦心惨憺を重ね、その言葉の多くが禅籍の中に残されている。その中にあっても、仏者であるはずの臨済禅師の吐いた「仏も親も親類縁者も皆殺せ」という絶叫は、群を抜いてすさまじい。無論、仏も親も親類縁者も、悪感情の比喩である。

私自身も、ビジネス道場においては、悪感情の塊のような人間になってしまい、身動きが取れなくなってしまう場面が多々ある。そうしたときには、「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺しだ!」、「悪しき感情は全てぶった切る!」と心中で絶叫し、前向きな本来の自分を取り戻すよう努めている。無論、修行は未だ道半ばであるが。