喜とは随喜なり、他の善を見て猶(なお)し己が如くにす(空海「十住心論」より)

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(訳文)喜とは他者の善行を喜ぶこと。他者の善をみて自分のように喜ぶことである。

部下の教育というものが難しい時代になった。過度に厳しい教育を行えば、「パワハラ」の誹りを受けかねない。かといって、甘やかしていれば人は育たない。「パワハラ」と「甘やかし」の中間に立てばよいのだろうが、言うは易く行うは難しだ。

空海は「他者の善をみて自分のように喜ぶ」と説いた。「他者」を自分の部下とした場合、「善」は部下の成長となろうか。部下を叱り、その結果、部下が一歩でも半歩でも成長してくれたとき、それを自分のことのように喜ぶ。貴方にその心境があれば、多少厳しめの指導を行ったところで、部下はパワハラとは取らないであろう。逆に、そのような心境が微塵もない叱責は、怒りのぶちまけに過ぎない。

明らかなパワハラは厳格に処罰されて然るべきである。一方で、部下に対し、腫れ物に触れるような態度も不要だ。肝心なのは、部下に成長してほしいという切なる思いを、貴方が常に抱いているかどうかだ。

その思いは、たとえ言葉に発せずとも、必ず部下に伝わる。部下への良き思いを心中にしっかり確立させ、雄々しく部下と接したいものだ。